シアトルと日本

今年の夏はワシントン大学で研究生活を送る時間が多かった為、じっくりとシアトルの町を経験することができました。

シアトルは、ちょうどポートランドとサンフランシスコの中間的な感じの町です。
気候的にはポートランドとほぼ同じですが、朝方霧がかかったりする感じはまるでサンフランシスコです。
町の雰囲気はリベラルで開放的です。
リベラルな町の感覚は、西海岸沿いの大都市に共通するものがあります。

シアトルには日本人に良く知られた名所かなりあります。
シアトルマリナーズのSafeco Field、某映画で有名なPikes Place、スターバックス最初の店などはいつも観光客でにぎわっています。

歴史的に見ても、シアトルと日本は戦前から航路で繋がっていました。
柔道を世界に広めた嘉納治五郎も、横浜港からシアトルに入る経路で柔道をアメリカに伝えたのです。

この町で一つ不思議に思うのは、ロサンジェルスやサンフランシスコにはある日本人町が無いことです。
ただ私が知らないだけで、昔は存在していたのかもしれません。
第二次世界大戦中、米国籍を持つ日系人は殆どすべて財産没収のうえ強制収容所に入れられてしまった為、その歴史が途中で途切れてしまっていることが多いのです。

8月15日は終戦記念日です。
戦後生まれでアメリカ人の妻を持つ私にとって、意味があるような無いような記念日です。
とりあえず平和な世界に生まれたことを感謝してボリバートロあたりの重めの葉巻に火をつけようと思っています。

猫とビールと葉巻

最近の週末は色々と家の庭手入れなどに時間をとられ、ポートランドのコンドに行くチャンスもありません。
庭の芝刈り、雑草抜き、猫のトイレの掃除、一週間分の洗濯、買い物、洗車、などなど週末しかできない雑用は毎週末繰り返すのです。

平日の午後に少しでもこれらをかたずければ、自由な週末がエンジョイできるのですが、平日は家にいない日が多くどうにもなりません。
そこで最近、新しい週末のパターンができてきました。

土曜日はまず雑草抜きから初めて芝刈り、一週間分の買い物、時間があれば洗車で終わります。
日曜日は洗濯物から初めて、家の中の掃除すべてです。
私はカトリックなので、日曜日にはミサに行く必要がるので、午後6時過ぎのミサに行くようにしています。
いずれにしても夕方8時ごろにはすべての雑用が終ります。

ポートランドのダウンタウンであれば、この時間からバーやレストランに出かける事も楽しみのひつですが、自宅のある田舎町ではそんな気分にはなれません。
そこで最近は家のポーチに座って、ビールを片手に猫を庭で遊ばせながら葉巻に火をつけるのが週末の夕方の形になっています。

綺麗に刈入れた芝生の上を猫がごろごろしているのをよそ目に、葉巻の煙を行方を意味も無く眺めて時間をつぶすのです。
我ながら典型的なアメリカ、ミドルクラスの生活スタイルはまりつつあることに少しならずとも嫌悪感を感じる今日この頃です。

夏休み

七月半ばといえば日本では夏休みの始まりの季節だと思います。
私は中学校まで日本の学校教育を受けていたので、約一ヶ月の夏休みを楽しみにしていたのを覚えています。

一つ嫌いだったのが夏休みの宿題です。
どう考えても休み中に宿題をすることは、休みというコンセプトに反すると子供ながらに考えていたのを思い出します。
確か小学校 高学年の時だったと思いますが、どうせ宿題はしないのだからと思い、学校からの帰り道、先生方からいただいた宿題のプリントをすべて川に捨てました。

その夏は机の上に意味も無く積もった宿題の山を見ることなく、楽しく蝉捕りや小魚捕りに熱中できたのを覚えています。
一日中、山や川で遊べばいろんなことを学ぶものです。
川の流れのどの辺りが一番早いか、砂と小石の分布、蝉によってもとまる高さが違うこと、簡単に言えば一ヶ月間の校外学習のようなものです。
そのうえ山の中を走ったり、川岸の崖から飛び降りたりしてましたから、運動神経の成長にも一役買っていたと思います。

今年の夏休みはワシントン大学で、井戸水中の細菌に関する研究をしているわけですが、それも幼年期に川の水をビンに入れて太陽にすかして観察していた自分の延長だと思うのです。
一つだけ違うのは、幼年期の自分には思い出という観念は無かったと思います。
すべては今日であり、今目前にあるものがすべてだったと思います。
数十年後、今の自分には現実と過ぎ去った思い出、あるいは経験という二つの次元の世界がつながるのです。

葉巻を楽しむ時間は、この過去と現実を照らし合わせて人生を振り返る時間でもあるのです。

華氏104度での葉巻

この夏はワシントン大学の研究所で仕事をしている関係で、週末だけワシントン東部にある自宅に帰るというパターンを繰り返しています。

今週末、家に帰ると気温が華氏104度(摂氏40度)という状態でした。
ワシントン大学のあるシアトルは華氏80度(摂氏26.6度)ぐらいでしたから、その温度変化はかなりのもでした。

シアトルから家までは時速75マイルほどでクルーズしても3時間半ほどかかるので、家に着くなり当然葉巻に火をつけたくなるものです。
こんな熱い状態では外で葉巻を楽しむのも気が引けるのですが、幸いなことにワシントン州東部は乾燥しており(丁度西部劇に出てくるような環境です)、気温が高くても湿度が低いため日陰に入れば何とかしのげるのです。

さてこの高温の中でも楽しめる葉巻はどれだろう、とヒュミドールの扉越しに(自宅にはキャビネットサイズのヒュミドールを設置しています)色々吟味した結果、選んだのはペルドモでした。
この葉巻は本当に素晴らしく、どんな環境にもうまく溶け込みます。
乾燥した熱い空気中に流れていく葉巻の煙は、不思議なことに周りの温度を少し下げてくれるような感じさえするのです。

アラスカで吸う葉巻

昨日からアラスカのフェアーバンクスに学会関係の仕事できています。
フェアーバンクスはアンカレッジからさらに内陸のほうに150マイルほど北上した地点にあります。

何でまたこんな田舎町で学会を開くのかと思えば、丁度この町にアラスカ大学があるからでした。
アラスカ大学の先生たちはいつも米国本土まで出張という形で学会にこられるので、二年に一度はアラスカで学会をやるらしいのです。

本土の連中で釣りやハンティングの好きな方々は、このアラスカでの学会を楽しみにしているそうですが、基本的に珊瑚礁とココナツ、そしてコバルトブルーの海を愛する私としては、万年雪のとツンドラで成り立っているアラスカには殆ど興味も無く、自分から来ることはまず無いと思います。

幸いなとこに、冬は零下何十度まで落ちるといわれている気温も、夏のこの時期は少し肌寒いぐらいで、外でも半そでで過ごせます。
冬場はオーロラが見えることで有名なこの町ですが、夏場の今は夜の12時半過ぎまで日が沈みません(日が沈んでもまだ明るい)。
夜明けはなんと朝の3時頃です。
早い話が一日中外は明るいのです。
昨日も明るい夜の10時頃にホテルのロビー近くにあるスモーキングエリアで一人でCAOを吸っていました。

11時過ぎにホテルのバーで寝酒をかねて、地ビールであるAlaskan Amberを3杯ほどジョッキで飲み干しました。
それでも外は真昼のように明るく全く寝る気になりません。
もう一本葉巻に火をつけようかとも考えましたが、持参したヒュミドールにはあと4本しか葉巻は残っていません。
初日に2本消費してしまうと、後残り4日間のうち一日は葉巻無しの夜を迎えなければいけません。
この何も無いフェアーバンクスで葉巻の無い夜は耐え難いと思われます。
皆さんもしもアラスカに何かの関係でどうしても行かなければ行けないときは、旅行日数X2の葉巻(一日2本の計算)を持参されることをお勧めします。

アメリカの寿司

アメリカに旅行した方は、カリフォルニアロールとかスパイシーツナなどという寿司を食べたことがあると思います。
最近では成田空港内のすし屋など、外国人客の比較的多い店ではメニューに載せている店もあるので、日本でも食べられるかもしれません。

今では“Sushi”という単語はすでに英語になっており、アメリカの都会では普通に見られます。
私が始めてアメリカに留学で来た頃は、”Sushi” はアメリカ人の中ではゲテモノ食いの一つと見られていた時代で、寿司屋どころか日本食レストランを探すのが大変な時代でした。
30年後の今日は、“Sushi” を食べることはアメリカ人の中ではトレンディーなイケテル生活スタイルとされています。

アメリカでは、寿司屋の事を寿司バーといいます。
最近流行りの寿司バーでは軽快なテンポの音楽が流れ、金髪のスタイル抜群の女性客(寿司はカロリーが低いので体系を気にする若い女性に人気がある)がカウンター越しに寿司をオーダーしている時代です。

日本の寿司がこうして海外で認められることはうれしいことですが、”Sushi”と寿司は別な食べ物です。
日本の寿司はネタと米のよさがすべてです。
“Sushi”には残念ながらネタのよさも米のこだわりもありません。
カリフォルニアロール(かに、きゅうり、アボカド,とびっこを使った巻き寿司、一説では70年後期にサンタモニカにあった”HIRO Sushi”の板前が作り出したとされている)は、けしてまずいわけではありませんが、日本の寿司からはかなり離れており、別の料理と考えたほうが美味しく食べれます。

ちなみにアメリカにはキャタピラロールという寿司もあります。
キャタピラとは日本語の芋虫(蝶の幼虫)です。
なぜキャタピラロールというかといえば、巻き寿司の外側に薄く切ったアボカドを巻いているからです。
アボカドの緑が丁度芋虫に見えるわけです。
アメリカで数え切れない程の寿司バーに行きましたが、葉巻の吸える寿司バーはまだ一度も見たことがありません。
もし私がアメリカで寿司バーをひらいたらシガーロールという”Sushi”を出そうと思います。
巻き寿司の外巻きにごぼうを使って茶色に仕上げるのです。

気候変化と葉巻

今年の夏のアメリカ北西部は異常に気温が低く、6月半ば過ぎというのに朝は吐く息が白いくらいです。

アメリカの学者の間では、温暖化(Global Warming)という表現はあまり使われず、気候変化(Climate Change)という表現が一般的です。
温暖化ガスにより地球全体が数度暖かくなるのではなく、温暖化ガスのため、これまで保たれていた大気間のバランスが崩れ、雨の多かった地域はより雨が多くなり、乾いた地域はより乾いてしまうなどの変化が起きるのです。
我々が経験上知っている気候という物の状態が根本から変わってしまうのです。

これまで当然と考えられていた有名なサンフランシスコの霧も、近年は発生回数が減少の一歩です。
専門家の間では、カリフォルニア北部の霧はだんだんと無くなっていくと予測しています。

ちなみにアメリカ西海岸に生息する世界一大きな木セコイアは、この霧から成長に必要な水分を吸収します。
霧の回数が減れば、当然セコイアが同じ場所で生存することは難しくなります。
霧がなくなるということはセコイヤの絶滅を意味するのです。

葉巻に使われるタバコは南米の国々で生産されています。
タバコの良し悪しはその土地の土と気候による場合が大半です。
気候変化は世界規模で起きています。
現在タバコを生産している地域が極端な雨量の変化などにさらされた場合、今我々が何も考えずに楽しんでいる葉巻の生産量が大きく減ったり、その質が悪くなったりする事も大いにありえる話です。
皆さんが次の葉巻に火をつけるとき地球環境問題について考えていただければ幸いです。

ワシントン大学

先週は一週間ポートランドで学会に出席していました。

ポートランドには昔からの飲み友達が多いので、毎晩結構な量のアルコール、さらに一晩で数本の葉巻をを消費してしまい、体のほうがかなり参ってしまいました。

気分を入れ替えて、昨日からシアトルのワシントン大学に来ています。
夏季研究期間と称して、学生を一人連れて寮に泊り込みでの研究生活の始まりです。

先週は少し歯止め無く飲み(ビール)、吸った(葉巻)為、この一週間は毒抜きの感覚で、ビールも葉巻も平日は我慢しようと思っています。
そこで、今回は意識的に葉巻を持たずにシアトルに来ています。

葉巻を持参していない時に限って葉巻ショップが目に付くものですが、嫌味のようにワシントン大学の周りには葉巻を売っている店が多いのです。
けして葉巻専門店ではないのですが、“Smoke shop”と呼ばれる店で葉巻も結構揃えていたりするのです。
チラッと覗いてみたい気持ちを抑えながら(見て終えば買ってしまうのも時間の問題)、時代を感じさせる寮に戻ってきました。

久しぶりのロッキーパテル

最近は手軽に楽しめるロブストサイズにひかれて、ペルドモオリヴァばかり吸っていましたが、昨日久しぶりにロッキーパテルヴィンテージ1992トロサイズに火をつけました。

ロブストに比べると長さの関係か少しドローが重たい感じでしたが、ヴィンテージ1992独特の甘い味わいはこの葉巻でしか味わえない世界です。
数年前ハワイに住んでいた頃初めてこのロッキーパテルを吸った時の感動を思い出しました。
あの頃は確かにこのロッキーパテルだけの持つ甘さとスパイスの効いた味わいの虜になり、毎日のようにヴィンテージ1992と1990を吸い比べていました。

その頃住んでいたコンドミニアムからアロハタワーまで歩いていき、そこで20分ほど海を眺めてそこから少し横道にそれて、チャイナタウンを経由して家に帰ると丁度1時間。
トロサイズの葉巻が終わるころにコンドミニアムに帰ってくる、という散歩兼葉巻の時間を繰り返していました。
今では家のベランダか庭で猫を相手に、流れていく雲を見ながら一日を振り返り、そして明日の仕事を頭の中で整理するのが私の葉巻の時間です。
ハワイでの生活もこうして振り返ればそんなに悪くは無かったなと思わせるロッキーパテルでした。

一年ぶりのフィリピン

妻と恒例の夏のダイビング旅行でフィリピンに行ってきました。

毎年少しは違った場所に潜りに行こうと、いつも話しだけはするのですが、旅費と時間を考えるとフィリピンのそれもアポアイランドになってしまうのです。
結果として三年連続でアポアイランドで潜ることになりました。

アメリカ西海岸からアポアイランドに行くためには、まず成田経由でマニラに入ります。
マニラで一泊して次の日、国内便でネグロス島のドマゲッティまで一時間少し、そこからホテルの送迎車で30分位でアポアイランドの見えるダウインという町に到着します。
ここをベースにアポアイランドに潜りに行くのです。

アポまではバンカボートで30分から40分ぐらいです。
アポでは午前中に2本潜り、ランチを島で食べた後午後に軽く1本潜ってからホテルに帰る、というパターンが基本です。

アポアイランドの周りは禁漁区になっており、魚の数もサイズも最高です。
銀ガメアジの群れの中を潮流に乗って、流れながら潜るのはアポアイランドならではのダイビングです。
アポでのダイビングのもう一つの楽しみは、島に上陸してのランチです。
数年来の付き合いのダイブガイドが、新鮮な魚を手配してくれ、それを現地の人と同じように焼き上げてご飯と一緒に食べるのです。
過去には現地で取れたマグロの腹身(いわゆるトロです)をBBQにして、豪快に手でちぎりながら食べたのですが、今回はなんとマグロの背びれの付け根でした。
生まれて初めて食べたのですがマグロの背びれの部分は、トロ以上に油が乗っており歯ごたえもあり最高でした。

ダイビングを終えた後は、ホテルに戻りフィリピンの国民的ビールサンミゲールを一気に飲み干します。
二本目のビールを開ける前に、持参した南米産葉巻に火をつけるのです。

今回はオリバペルドモをシガーケースに入るだけ(何とか6本入りました)持ってきました。
海風を受けながら水平線に浮かぶアポアイランドを背景に味わう葉巻は最高の時間を作り出してくれました。